東日本大震災−野田村の津波被害(2・携帯用)

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内容更新日:2011.03.26.
レイアウト更新日 : 2016.04.24.

東日本大震災−野田村の津波被害(1・携帯用)


 5日ぶりで車の燃料が手に入り、生活物資等を買いに出ることができました。野田村の南隣りの普代村の知り合いと電話連絡が未だに通じないことから、直接行ってお互いに安否確認しようと、今まで見えなかった周囲の被害状況を見ながら向かいました。久慈港付近は思っていたより被害が大きく漁協の建物もほぼ全滅、他の港も皆さらわれて、東北沿岸の漁業が壊滅的被害を受けたことを知りました。この事は、日本全体の海産物供給に大きな影響があると思われ、国には早急な復興対策を講じて欲しいです。
 野田役場に貼り出された情報。3月21日11時、死亡者30名、行方不明者7名。この中に私個人が知っている人が5名おりました。お悔やみ申し上げます。
 3月21日撮影

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 (久慈港周辺)埠頭にて。

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 (久慈港周辺)港を囲む高い防波壁の北側道路。

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 (久慈港周辺)港防波壁の南側道路。防災スピーカー塔が無残な姿に。網も壁の上に引っかかって、波は防波壁を越える高さがあったことが分かる。右側の漁協の建物は低い所に建っていたため、1階部分は完全に水没。

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 (久慈水産高校付近)

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 (久慈水産高校付近)湾北側の石油備蓄基地を臨む。

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 (船渡)久慈の海水浴場。

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 (小袖)復興作業中のため、これ以上近寄らなかった。

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 (三崎漁港)工事事務所はひっくり返ったまま。

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 (久喜)中沢の上り口にて。中沢地区への坂は急なため上の民家には被害はなかったが、堤防を越えた波は沢を逆流。

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 (久喜)ここでも波は堤防を越えた。

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 (久喜)ここに家はなかったはず。

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 (久喜)急斜面に張り付くように民家が並ぶ地区だったため全滅は避けられたものの、波の被った部分は損傷が激しい。

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 (広内橋)川幅は小さかったので土管を通して重機で土を盛って迂回路ができ、野田−久喜間の交通は復旧していた。
 野田村浜沿いの国道45号線を震災後初めて通りましたが、三陸鉄道の線路は全て流され、国道のガードレールも流されて工事用のバリケードが延々と並んでおりました。南浜地区は山陰の建物がいくつか残っているだけで、民宿やドライブイン付近は1軒も残っていませんでした。十府ヶ浦の堤防も半分が崩れ、松林は見る影もありません。

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 (十府ヶ浦)桜庭石材付近から泉沢・城内方面を見る。

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 (十府ヶ浦)堤防は北側半分が流されてしまい、松林もなくなってしまった。

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 (十府ヶ浦)線路(跡)に立って南側を見る。

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 (十府ヶ浦)線路(跡)に立って北側を見る。線路はみな流されてしまった。

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 (十府ヶ浦)南浜の食堂・民宿方面。

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 (十府ヶ浦)十府ヶ浦展望所にて。民宿。

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 (十府ヶ浦)国道山側の食堂があったあたり。

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 (十府ヶ浦)堤防全景。手前の道路も堤防に守られていたハズ。

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 (十府ヶ浦)駐車スペースのガードレールも流されてむき出し状態。

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 (十府ヶ浦)国道の法面も壊れた。

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 (十府ヶ浦)前浜対岸の法面も崩れている。

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 (十府ヶ浦)テトラポットも押し流されて散乱。

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 (十府ヶ浦)船?

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 (下安家)防波堤も壊れている。

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 (下安家)橋桁だけ残った下安家橋。

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 (下安家)下安家地区は高い防波堤はなく、波はかなり奥まで入っていた。

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 (下安家)

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 (下安家)

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 (下安家)
 普代村の知り合いは無事でした。普代村は被害は少ないと聞いていたのですが、実際に見て来て、野田村に比べて高い堤防が被害を小さくしたことがわかりました。(堤防の外側にある漁業施設はほぼ全壊ですが。)ただ、電話は固定も携帯も通じず電気は昨夜やっと来たという話を聞いて、被害の大きな町の復興が優先されて被害の小さな町の生活が成り立たなくなる危険があると感じました。久慈市内のスーパーには食料はじめ物資は揃ってきていますし野田村はスーパーは壊れてますが自衛隊が物資を運べます。その点普代村は食料品も少なく、知り合いは「米だけは蓄えがあったから何とかなるだろう」と言っておりました。

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 (普代浜付近)普代の堤防は高いが、それでも越えて普代小学校の下まで水が来ていた。

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 (普代浜付近)普代小学校とは川向い側の道路から見た堤防内側。

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 (普代浜付近)堤防へ上がる階段の手すりは、全て引きちぎられていた。

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 (普代浜付近)堤防の上から見た普代浜。

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 (普代浜付近)普代浜キャンプ場の松林も全損。

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 (普代浜付近)堤防外側の、大田名部へ向かう道路。

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 (大田名部)大田名部の堤防は、水一滴通さなかった。

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 (大田名部)船の引き揚げ作業中。

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 (大田名部)観光船の発着するレストハウスは、トイレだけ残して姿なし。

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 (大田名部)漁業関係者には辛い光景。

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 (大田名部)堤防の外側は全壊。
 震災発生後、全国、いや世界中の方々から多くの支援を頂き、感謝しています。先日も久慈市の姉妹都市である北海道弟子屈町の知り合いから安否確認電話があり、物資を送っても届かないだろうから募金活動をしているとの事。本当にありがとうございます。
 ただ、前にも申し上げたとおり、被害は直接の被害地だけではなく、これから日本全国に波及していくものと思われます。被災地の救援が優先されるあまり被害の少ない地区や被災地から遠くの人達の生活が被災地より苦しくなることは、被災地に住む者として望んではおりません。私は報道関係者ではありませんが、ネット発信者として正確な情報発信に努めますので、皆さんも正確な情報を得る努力の上で適切なご判断をお願いいたします。


この日見て回った地点。
野田村役場発表:平成23年3月24日16時現在

 死亡確認:35名
    北田勝太郎(本町)、日形井與平(下泉沢)、小野寺昭二郎(旭町)、日向クニ(普代村)、芦生信一(普代村)、
    藤森昭子(米田)、明内伊智祐(米田)、山形正男(米田)、金子健太(田野畑村)、近藤昌子(本町)、
    中野弘(上泉沢)、大家辰郎(下安家)、赤坂セツ(普代村)、広内市蔵(旭町)、小野寺トメ(旭町)、
    奥山哲秀(前田小路)、柾屋トキ(旭町)、沢里幸江(旭町)、大下フニ(旭町)、川戸道益雄(港)、
    片座隼貴(前田小路)、野田口文男(普代村)、坂本吉太郎(旭町)、北田秀利(旭町)、柾屋義廣(旭町)、
    明内トシ(米田)、深渡守(普代村)、京谷正司(宮古市)、中野中(南浜)、小野寺安子(旭町)、
    佐藤隆幸(米田)、菊地一男(米田)、佐藤勝雄(米田)、身元不明2名。

 行方不明:2名
    大沢藤吉(南浜)、久慈朗恵(本町)。

東日本大震災−野田村の津波被害(1・携帯用)