近況報告 9月29日発 遠島山のブナ林

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内容更新日:2005.09.29.
レイアウト更新日 : 2016.04.24.



 あまり、と言うかほとんど知られていないのですが、遠島山近辺はブナがたくさん生えています。遠島山の標高800m付近から頂上近くまでの間には見事な老木もいくつか見られますし、隣の天神森の頂部は秋になるとブナ林が黄色から茶色に上から変化して行くのが麓からよく見えます。特に遠島山の裏側の林道の峠付近は純朴林に近く、遠島の秋を感じたくなると良く出かけます。今年も秋が近くなって、山の様子を見に出かけました。おととし、去年と山の実りは悪くクマが随分と人里に出たのですが、今年はブナの実がけっこう付いているようなのでそのせいでしょうか、騒ぎになるほどクマの話は聞きません。(とうきび畑は食われた話は出てますが。)秋田に住んでいた時もブナの林を歩いていると何かホっとするものがあって、何故かひかれるのです。大体、ブナのある場所は高い所だから、人の気配のない静けさがいい。枯葉が落ち初めて冷たい湿り気の中で寒さが手を刺し、あたりの生き物の気配がなくなる寂しさがいい。
 考えてみると、都会に住んでいる人達にはこの感覚はなかなか理解できないと思う。いくら人を避けても人の気配の中で暮らしている人には、良い悪いというのではなく、森の中で人ではない自然の生き物の気配を感じて生きるという事は難しいのではあるまいか。事実、この日はまる一日、全く人に出会っていない。でもそれが、寂しいとは思わないし珍しい事とも特別な事とも思わない。こんな事を書いていると、北海道滝上のひまわり文庫のおじじを思い出す。森を命の源と思い、森(木が3つ)ではなく木・土・水と書いて「もり」と読むおじじ。「もり」の中に小屋を建て、冬も雪の中で子供達と「もり」を見て暮らすおじじ。季節の移ろいの中に命を感じ、それを子供達に伝えようとするおじじ。おじじも冬の「もり」が寂しいとは思っていないに違いない。
 昔、秋田の仁別のブナ林を初めて歩いた時、ブナの実がたくさん落ちていて食用にと拾い集めた。クルミのような油っ気のある栄養たっぷりの実、でもクルミより小さな小さな実でクルミ一個分拾うのは大変。クマは大好物だそうだが、この小さな実をクマさんが一つぶ一つぶひたむきに食べているのを想像すると、自然の中に生きるという事がいかに大変な事かと感じ入ってしまった。そのひたむきな心を自分は、大切にしたいと思っている。





 ブナは3年ごとに豊作になると言う。今年は当たり年か?




 遠島山全景。左が遠島山、右は天神森。


 久慈市内を望む。


 遥か遠くには早池峰の峰。



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